日本語教育の視点から

日本語教育の視点を学校教育などにも生かしていくという考え方から、くろしお出版を含む各社の書籍を紹介します。

 

※「日本語教育の視点から」特設掲示板を設けました。

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ココ出版 吉峰さま (「日本語教育の視点から」の立ち上げ)

8月もおわりだというのに厳しい暑さが続きますが、お元気ですか。

 

先日お預かりした『小学生のための会話練習ワーク』(森篤嗣・牛頭哲宏著)は教育新聞など各紙で好評だというのに販売に結び付けるのには苦労されているそうですね。門外漢の小出版社が小学校の先生に直接購入していただくところまで行くのは大変です。くろしお出版でも小学校や中学校の先生に購入していただきたい本は何冊かあるのですが、どういうところが面白いのか、というガイダンスが不足しているのかもしれません。従来の学校関係図書にはない視点をアピールしたいですね。我々の出身母体ともいえる日本語教育の世界では日本語の音声や文法を教えるのと並行して、教える側と学ぶ側の関係性を問い直して、教科書に書いてあることが必ずしも普遍性を持った真実ではないという気付きを促すような実践が活発に行われています(くろしお出版刊 リテラシーズ4参照)。

 

それは日本語をまなぶ人々が様々な文化的背景をもった「外国人」であり、それゆえ、いろいろな困難にさらされていることから発生するものなのでしょう。翻って日本の小学校では、「みんな同じ日本語を幼児のころから話しているのだから、結局は分かりあえるはず」と思っているうちに「すぐに切れてしまい」、「むかつく」「きもい」といった貧しい語彙で事象や気分を断定し、周囲と共振したコミュニケーションを取りあっているという状況がたびたび指摘されるようになりました。

 

そこで「日本語教育」という場所、分かりあえなくて当然な「他者(共通の規則を持たないもの)」に「日本語」という言葉を教える中でつちかわれてきた視点をもっとひろく世間、特に学校の先生方にも知っていただきたい、との思いを込めて短期連載でわれわれの著者の先生方に自著紹介をしていただこうと思います。ココ出版さんの書籍もどんどん紹介していきたいと思いますのでよろしくお願いします。

 

先日、柄谷行人著『探求1』という文庫本の最初のページを広げたらウィトゲンシュタインの「哲学探究」からの1節(20)が引用されていました。柄谷によると、「ウィトゲンシュタインはことばに関して「教える」という視点から考察しようとした。これははじめてではないとしても、画期的な態度の変更である。」となります。柄谷によれば「おしえるーまなぶ」という非対称的な関係がコミュニケーションの基礎的事態であり、ノーマルなケース、すなわち同一の規則を持つような対話の方が例外的なのだそうです。

 

これは、語り聞くことを共同体内部で行う哲学に対する批判のようですが、他者にことばを教えることを実践してきた日本語教師の中には哲学や人類学出身の方も多いようです。教育の議論も直接役に立つものだけでなく、難しくて何を言っているかすぐには分からないけれど、心に引っかかる、というようなものも長い目で見れば必要かもしれません。そういうわけで短期連載「日本語教育の視点」を始めたいと思いますので、吉峰さん、初回はココ出版に振りますのでよろしくお願いいたします。

 

(くろしお出版 さんど)